超短編

#275

盛夏のおり液状化した自我と知性がこの残暑のおかげで未だもとに戻れないでいる。

#274

朝から急激に気温が下がってしょんぼりしていると、爽やかな笑顔の見知らぬ男の子が、「やぁ。ぼくにはなにもできないけど、きみのしょんぼりを取り去ってあげるよ」といってわたしの背中にひょいと腕を延ばして何かをとって去っていった。 残されたわたしは…

#273

「一斉に咲いて一斉に散るソメイヨシの美しさは異常」 「一種のクローンだからな。おれたちとはえらい違いだ」 「ぬかせ」 そいつとおれとはそっくりな顔を見合わせて、そっくりな笑顔をつくった。

#272

四月一日の会話例。 「意識的につく嘘は欺瞞、無意識的につく嘘は偽善」 「なるほど。ぼくが君への好意を表明するときは前者で、君がぼくへの好意を表明するときは後者なわけだな」

#271

月がとっても青いから、君に追われることを止めて全力疾走で君を追うことにした。ぼくの全速力が地球の自転速度と一致していたのは皮肉な偶然にすぎない。結果としてぼくは果てしな衛星軌道上を落下つづけ、君と同僚であるかのような人工衛星と呼ばれている。

#270

「もともと、たいした顔でも頭でもなかったじゃない」 リストラされて帰宅すると、妻はことなげにそういい放った。 それで踏ん切りがついた、というわけでもなかったが、翌日からぼくは、ハローワークで首がなくても勤まる肉体労働系の求人票を漁りはじめた。

#269

公園の桜がほころびはじめた矢先にみぞれまじりの氷雨が降りだした。せいぜい気温が低い夜半から明け方までの現象であり、もちろん、積もることもない。地面につくまでには液体になっている落下物が街灯に照らされていている。 どこからか、悲しげな犬の鳴き…

#268

例えば、雨垂れの音を耳にしながら夕食後にくつろいでお茶を喫しつつ本に目を通していると、かえって人の気配がないことを強く感じるわけだが、そうした静寂は何故か、とてもおれを落ち着かせる。 地上最後の人間になるのも、そんなに悪い経験ではない。

#267

姉は二年前の冬からアパートのユニットバスに入り浸りだった。ずっと水に浸かっているせいか、下半身にびっしりと鱗が生えて両足も腿の部分がひとつながりになってしまっている。罰があたっちゃったねもう前のように出来ないね、と、姉の呟きが浴室にうつろ…

#266

火燵にあたっていつまでもまどろむことが好きすぎた彼女は、気温が高くなる日を、春の到来を呪った。そして、そうした自分の呪詛が大陸から黄色い砂を召喚していたことには、最後まで気づかなかった。 #twnovel

#265

春を待つうちに病に伏してしまったその女性は、長らく待ち望んでいた春が病室に見舞にいっても顔を見分けられなくなっていた。あの子はほんとう、あたたかい子でね、などという女性の言葉に、名乗るタイミングを失った春は神妙に頷いてみせる。

#264

背を丸めながら骨身に染みる寒気を身に纏って帰宅し、暖房がまわるのをソファの上に横になって待っているともう二度と春など来ないんじゃないかと錯覚するような、そんな夜。

#262

その女は、胸に耳をあてるのが好きだった。そうすると、轟々と音を立てていることが確認できた。例外なく男たちは胸のうちに虚空を抱えている。空虚なのは自分だけではないと得心して、はじめて眠りにつくことができた。

#261

「猫の日? 平成22年2月22日22時22分? そんなのこっちにはなんの関係もないじゃん」と、猫。

#260

誰もが頭上に憂鬱の花を咲かせている町、路上にうずくまって今にも大きな花に押し潰されそうになっている男がいた。最後に男に声をかけたのは、知恵遅れであるが故に頭上に花を咲かせていない娘だった。 男の最後の吐息は、自嘲なのか安堵からのものか、区別…

#259

場末のカフェに入るとテーブルの上に妖精が座っていた。 「バレンタインの精です」うるさいのでポケットに入っていたチロルを放ってやる。 「期間限定ですから」妖精は包装を解いて自分の頭ほどもあるチョコにかじりつく。 「お前さんは呑気でいいねえ」 呟…

#258

「どうせ義理も貰えない身だから渾身の呪いをかけて今年のバレンタインデーを日曜日にしてみました」 「ほう。では、このチョコはいらないわけだな。捨てるか」 「止めて! ぷりーず・ぎぶみー・ちょこれぃとぉっ!」

#257

雨の休日には時間泥棒が跳梁跋扈する。

#256

休日の朝には二度寝魔という魔物が棲んでいる。

#255

暦の上では春の雨、まだ降りが弱いうちに帰宅した。 霧雨でもあり傘を差す手間を惜しんで自転車を漕いでいたら覿面に眼鏡に水滴が付着し夜の視界にぼんやりとした光の輪が浮かぶ。 見慣れた帰路の風景が違って見えるのが新鮮でもあり、万華鏡の中を進んでい…

#254

紙魚といえば文字を喰らうわけだが当家ほどの古い家柄であれば勿論万全の対策を講じている。記憶力に秀でた書物番を高給で召し抱えて蔵書をそらんじさせ、紙魚が食い荒らした穴を適宜埋めさせる。蔵書数が多過ぎて内容がしかと保全されているのか確認できな…

#253

今年、節分らしいことをまったくしなかったのは、仮に鬼を外に押し出したとしても、わが家には貧乏神がしっかりと住み着いていて福の神を招き入れる余裕がないことが自明だったからだ。 急募、貧乏神との縁の切り方。

#252

本当は節分などという面倒なことはしたくはないのだが一年分の隠ぬが家中に滞留していることを想像すると放置するわけにもいかず適当に豆を撒いてやると案の定わらわらと姿を現しては丑寅の方角に去っていく。 その後、家中に散らばった豆をひとり侘しく掃除…

#251

昨夜猛威を奮った冬将軍の戦禍が都内に散見される朝だった。予報では道は凍り雪は薄く積もり電車のダイヤは乱れスリップ事故と足を滑らせたお年寄りの骨折が増える、となる筈だったが、夜が明けてみると地上に残っている雪は思いの外少ない。 都会の気温は冬…

#250

寒い夜は時間もゆっくり流れる。

#249

この年齢になるとここいらでは滅多に降らない雪が積もりそうでも、「明日の朝、凍らないといいけどな」とか「出勤の時、ダイヤ乱れないといいけど」みたいな散文的な感慨しか抱かないわけだが、しんしんと低くなっていく気温に応じて燗をつけるくらいのこと…

#248

一方、あと二時間ぼどで任期を引き継ぐ二月さんは、荷台に家財を搭載した軽トラで一月さんが退去するのを待っている。 引き継ぎは午前零時きっかり、遅すぎても早過ぎてもいけない。 ということになっているので、出ていく方も引き継ぐ方も、毎度のことなが…

#247

満月が煌々と夜空を照らす晩、もうすぐお役御免となる一月さんがいそいそと荷造りをして旅立ちの準備をしている。一月さんは明日で仕事仕舞い。 ブルームーンを見上げながら、一月さんは「月日が経つのも早いものだ」と、そっと呟く。

#246

寂しいのはお前だけではないとお前はいうけど、お前の寂しさに共感できない以上お前の寂しさは孤立しているわけだしお前のその言葉は無駄なんだよ。

#246

失うことを恐れるのには歳をとりすぎたので、世を捨てることにした。 つまり、絶対に押してはいけないボタンを押す決心をつけた、ってことだけど。