#110

 もう十年以上にもなるだろうか、その当時彼は、工場街にある古ぼけた木造アパートに住んでいて、わたしはなにかと理由をつけては、かなり頻繁のそのそのアパートに立ち寄っていた。もういい年齢なのにいつまでも定職につかなかった彼は、一種の変人でお金はなかったが、どうした加減か友人知人は多く、わたし以外にも彼のアパートにふらりと立ち寄る者は多かった。
 いつものように、バイト帰りにスーパーで土産代りの総菜をみつくろってから、ふらりと彼のアパートに立ち寄ると、おりよく、彼は居た。常時困窮していた彼は、形のあるモノ、それも、できれば腹に入れることができる可能な土産物を喜び、そして、不在がちで、自宅にいる時間帯も読めず、「どうせ盗られるものもないから」という理由で、部屋に鍵をかける習慣もなかった。
 不在であれば、土産物だけを部屋において帰るつもりだったが、この日は、どちらかといえば運がよかったのだろう。
「いいところに来た」
 彼は、ちらりと一瞥してわたしの顔だけを確認すると、すぐに手元に注意をむける。
「もうすぐ、結果が出る」
 三脚の上にセットしていたインスタント・カメラの角度調整を終えると、彼は、シャッター・ケーブルのだけを握って、わたしの方に向き直った。
「ついさっき、雨があがったばかり。
 そして、もう日没の時刻。
 ……さん、にい……」
 彼は、腕時計を確認しながら……いち……といって、シャッターを押す。
 日が沈んで部屋がいきなり暗くなるのと、カメラから、べー、と速乾性のフィルム用紙が吐き出されるのは、ほぼ同時だった。
「ほらな、よく撮れている」
 そういって彼が差し出したフィルム用紙には、沈む寸前の夕日を虹の輪っかがかかっている様子が、現像されるところだった。