地を這う魚 ひでおの青春日記

吾妻ひでおの作風を知っている人なら今更驚くべきことでもないのだが、なんの予備知識もなしにこの本のページを開く人は、かなり意表を突かれるのではないか?
内容と画風の隔離。
この「絵」だけをみて、まさかこれが地方からでてきた青年がマンガ家を目指す……という、マンガ道的な自叙伝だと思う人は、まずいないだろう。実在の人物をモデルにしたキャラクターたちも馬やアリクイ、ヒヒやワニなどの「二本足歩行の動物」として表現され、なにより、背景までもが、丸っこい描線でだいぶんソフトな印象にはなっているものの、有機的なフォルムを持つ「なんだかわからないもの」で埋め尽くされていて……ありていにいって、非常にシュールな画風なのだ。
絵だけを見ると、とうてい、著者自身の若き日を再現した「リアルなドラマ」には、みえない。
(おそらく)集団就職で上京してきた印刷工場で、「使えない」という理由であちこちの部署にたらい回しにされたり、発作的に会社を辞め、日払いのチラシ配りのバイトをはじめたり、友達のアパートに転がり込んだり、同じくマンガ家志望の青年たちと合流して愚痴をいいあったり議論したり、なんとかマンガ家のアシスタントとして雇われたり、でも給料が安くて毎食安売りのインスタントラーメンばかり食べていたり、職場にいく電車賃にも事欠いて道ばたに落ちていた空き瓶を売って小銭に換えたり、三ヶ月も風呂に入れなかったり……と、進行するストーリー自体は、いかにも60年代にありがちな、リアルなもの。
途中、ハヤカワ銀背の「人間以上」を読んでいたり、「永島慎二」やら「フーテン」やらの単語が飛び出たり、ガロに発表されたばかりの「ねじ式」が話題になったり、連載中の「明日のジョー」が「梶原らしくない」、「ちばさんが原作無視で」なとと論評されていたり、ロードショウの「真夜中のカウボーイ」を見て「俺もダメでミジメな大人になりたい」とか思って飲めない酒を口にして吐いたり……といったあたりのディテールに時代性を感じるわけだが、その背景には例によって魚とか蛇とかロボットとか訳の分からない丸っこい機械とか、「なんだかよく分からないもの」たちが意味もなく飛んだり這いずったりしているのである。
背景までもが「自叙伝を描く著者」の内面と一体になっている……と解釈すれば、これ以上「誠実でリアルな」自叙伝はないのではないだろうか?
そのせいか、序盤ではどことなく白っぽく空白が目立った画風も、終盤にいくに従って緻密で黒っぽく、ベタが多くなっているような気がする。
これは、比較的最近のことの方が記憶が明瞭で描くべきイメージが明確になっている、ということか、それとも、どうにかマンガ家としての仕事もぼちぼちはじまった、「その先の未来」があまり明るいものではない……ということを知っている、「未来の著者」の視点や心情を反映したものなのか……。
ともあれ、最近、妙にリアル指向の画風が増えている中で、これほど洗練された「非リアル」な画風のマンガを描く人は少なく、この方面での作家としては、吾妻氏は、極北といえるのではないか。

↑ラストのページ。暗い。