空ばかり見ていた

空ばかり見ていた (文春文庫)

空ばかり見ていた (文春文庫)

何とも……いい意味で、「頼りない」物語群だった。「よるべない」といってもいい。
一応、「流しの床屋、ホクトをめぐる12の物語」という枠組みも、あることはあるが……各々のエピソード群の中での、ホクトのポジションは随分と異なる。
あるエピソードは、単なる通りすがりの人物としてひょっと「それらしき人」が通りすがるだけ。ある時は、「改装の中の一人物」。もちろん、ホクト自身が中心人物となるエピソードも、あることはあるのだが……だからどうだ、ということはない。そのエピソードの中である役割を果たすのが、「ホクトである必然性」がひどく希薄……とでも、いおうか。
そして、そうした希薄さ、頼りなさは、この一冊の場合、欠点ではなくてあきらかに長所といえる。
12の物語群に共通する事項は、確かに「ホクトという人物」であることは確かなのだが……そうである必然性は、希薄。ついでにいうと、ホクトに与えられた「流しの床屋」というひどく曖昧なアイデンティティも、別の要素……例えば、「流しの靴直し」……なんかであっても、一向にかまわないのではないか……という気がしてくる。
肝心なのは、世界中をあてどもなく(これは、重要な要素だ。確固とした目的があって旅をしているわけでなく、何となく「流れて」いる風情が、いい)さまよっていて、通りすがりに様々なタイプの人々と接触し、会話を交わすことが出来る「属性」でありさえすれば……。
「旅人」を「風」に例えるメタファーを持ち出すのはあまりにも陳腐というものだが、こうした物語群には、どこか足下がおぼつかないといった類の「頼りなさ」を備える姿こそが、正しい。