好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)

久しぶりの舞城王太郎はやっぱり舞城王太郎で、ストーリーは細切れで前後の繋がりがわからなかったり、あるいははじめからなかったりで、ぶったぎりのぶつ切りもいいところ。ときおりギョッとするほど鮮烈なイマジネーション(AZMAとか逆さになって登場する少女とか)が展開されるかと思うと、ひどく日常的な愁嘆場が繰り広げられたりして、読んでいて、もう、わけがわからん。そして、その「わけのわからなさ」がある種の快感になっているのであった。
読んでいて連想したのは、筒井康隆の「夢の木坂分岐点」。
ただ、あれは、夢の中で何人もの中年男の人生がつながっている、というコアが存在したわけだけど、こっちの「好き好き大好き超愛してる。」は、そうした分かりやすい構造は(少なくとも、読んですぐにそうとわかるようには)記述されていない。
一見バラバラに見える設定とシュチュエーションをつぎはぎにして見えてくるのは、冒頭にある、

「愛は祈りだ。ぼくは祈る」

という主題だけではないのか?
そのシンプルな主題を引き立たせるために、ここまで物語の構造を破砕したのだとしたら、それなりにうまい方法だな、とは、思う。
確かに、効果的ではある。
……この人以外が、こういう手法を真似られるとは、思わないけど。