ウェブ3.0と黒川紀章@佐々木俊尚 ジャーナリストの視点

http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/05/27/entry_27001839/#blogtitle
それなりに長い文章なので、適宜抜粋してコメントを付加する。
興味がある人は、もちろん、リンクから飛んで全文を読んだ方が、いい。

 ではウェブ3.0とはひとことで言えば何なのか。

 先ほどのReadWriteWebのコンテストで優勝したのは、ニュージーランドプログラマー、ロバート・オブライエン氏だった。記事によれば彼の定義はこうだ。「ウェブ1.0は集中化した彼ら、ウェブ2.0は分散化したわれわれ。そしてウェブ3.0は非集中化したわたし」

 なかなか難しい。だがより明確に、わかりやすくひとことで言いきってしまえば、こういうことだ−−「自分自身による、情報の再集約」。

わかったような、わからないような……。

自分自身による再集約
 違う。マスメディアのようにすべてのユーザーに対して一律に同じ情報を提供するのではなく、情報爆発を起こしている膨大なインターネットの海の中から、そのユーザーに適した情報を拾い上げ、そのユーザーに特化したかたちで情報を提供するような仕組みが必要になってくるのだ。つまりマスメディアのような一律的なプッシュではなく、パーソナライズされたプッシュがいまや求められている。そしていま求められているこの新たな仕組みこそが、Web3.0と呼ばれるようになってきている概念の本質に他ならない。

ふむふむ。
「ユーザー一人人が必要とする情報の傾向を学習して、適宜、提供してくれるプログラムないしはシステム」みたいなイメージでいいのかな?

黒川紀章の「ホモ・モーベンス」
 真の意味での情報社会が成立するためには、個人個人がユニークな情報を求めて活動できるようなシステムをつくらなければならない。そのためには、フィードバックの機構はぜひとも完備しなければならない。このことに関連して、私は次のような仮説をもっている。

 情報社会には第一次情報社会の段階と第二次情報社会の段階がある。第一次情報社会とは、どんどん大量に流れてくる情報を、金を出せば出すほど大量に仕入れることができる。大量に仕入れた中で、たらふく食べてみて、それで消化できたものが、その人の栄養になる。つまり情報の価値が貨幣に換算できる時代。

 その次の時代になると、大量に買える情報というのはどこへ行ってもただでもらえる。そのころには消費水準が上がって、一人一人の生活は、まったく均一化している。自分が生きがいを求めて人間らしく生きるためには、独自のユニークな情報を求めなければならない。つまり、クリエーティブな情報の時代になる。そう言う第二次情報社会になると、いったいクリエーティブな情報というものは買えるかどうか。むしろ自分のもつ個性的な情報の代価として物々交換で手に入れるより他にないだろうと思う。そのとき、いつでもどこでも、自分の望むときに発信し、受信し、フィードバックする能力を持ったカプセルは、大きな有効性を発揮するであろう。

こういう先見の妙がある人って、結構いるんだよね……。
直感とか理論だった推論で、将来のことをかなり的確にイメージできる人、って……。
ただ……そういう人が、社会的な成功を収められるかどうか、っていうのは、かなり微妙なところなんだけど……。
この黒川紀章って人は、それなりに成功した方らしい。

共生の思想―未来を生きぬくライフスタイル

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行動建築論―メタボリズムの美学 (1979年)

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