夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

読了後、直ちにイタロ・カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」を想起した。とはいえ、物語のタイプとしては、この作品と「冬の夜」とでは、全然違うんだけどね。かろうじての類似点として、男性読者と女性読者が最後に結ばれる……という結末が、似ているといえば似ている。くわえていうと、その程度の類似は恋愛要素のある作品群では決まりきったお約束ごとき「結末」であって、今更「類似」をどうこういう指摘するのも野暮なほどだ。
断続的に「乙女」の視点から語られる断章が挿入されるものの、「先輩」の視点で語られている部分はそれまでの森見作品と同様の、「少し冴えない京大生の自意識過剰な片思いの一人語り」そのもの。どこか日常性とペーソスを含みながらも当然な顔をして突拍子がないことが平然と起こる虚構的な時空間は、森見作品では実にお馴染みの光景だ。
この作品では、そのお馴染みの要素に加えて、懸想される側である「乙女」の側から、同じ時期に起こっている事件のあらましをほぼ交互に語る……という構成を採用している。これによって、従来の作品と同じようなことを反復しているのにも関わらず、それまでにはなかった「柔らかさ」と「甘酸っぱさ」が加味された。
主人公である「先輩」と「乙女」とは、ときにニアミスを繰り返しながらもだいたいのところ盛大にすれ違いを続けるのだが、一番最後の第四章にいたって、ようやく「乙女」の方から「先輩」に合いに出かける。
最後の最後でそれまで進展のなかった色恋沙汰が一気に……というのも、実は森見作品の中の黄金パターンだったりするのだが、従来の作品では「めでたしめでたり」というハッピーエンドな結末を付け加えるため、唐突にそうなったような印象を受けてしまう。
その点、この作品では「そうなってしまう課程」が多少なりとも段階を踏んで書かれているので、展開としては「不自然さ」がかなり減じている。
個人的なことになるが、ラスト近く、「先輩」も「乙女」も、初デートにいく準備をする傍ら、「あのとき、相手はどんな体験をしていたのだろう」と「相手の話し」を聞きたがる部分に、しょっとぐっと来た。
様々な出来事をほぼ同時に体験しながらも、ともにはいなかったため目撃/体験できなかった部分を補い合おう……と、そうと意識はせず、二人でほぼ同時に思っている……というシュチュエーション。
これほど、「物語」の機能を十全に説明したシュチュエーションは、そうそうないのではないか?
わたしが、読了後、直ちにイタロ・カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」を想起したのは、このシーンに拠る。
冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)