モバイル環境の普及が何をもたらすのか?

http://fladdict.net/blog/2008/01/post_129.html

基本的に、「技術の普及」という面においては、インフラが遅れていた国ほど、一気に最新の技術を導入、普及させやすい。 抵抗勢力の利害調整や、過去のインフラとの整合性をあまり考えなくて済むからだ。日本が欧米以上に携帯コンテンツ先進国であったり、数年前の韓国のインターネットの一般層への浸透率を見ればわかりやすいと思う。
現在、これから上ってくる本命国家は、中国とインドだ。個人的には、あの20億超の人々になにかしらの最新インフラが普及しきったとき、世界レベルで何かしらのパラダイムシフトが起きると考えてる。そして今のタイミング的に考えれば、それはおそらく携帯電話がそのポジションに来る。 ちなみに現在、インドは毎月700万人が新規携帯に加入してるんだとか。
この両国に携帯が浸透したとき、それこそ億単位の携帯コンテンツ市場が生まれるわけだ。インドにおいて、「英語による携帯コンテンツ」の可能性が花開いたとき、おそらく欧米の携帯コンテンツにも膨大な人数のユーザーが流入し、欧州の携帯文化も一気に加速するはずだ。そんな中、日本は携帯鎖国してるわけだけど。
そういうわけで中国、インドに携帯ネットコンテンツが普及した時点で、世界レベルでネットの携帯方向へのシフトが始まるんじゃないかと思う。そんとき俺らはどうしようかと。現在インドの携帯はプリペイドの払いきりスタイルが主流だけど、既に農家や地方の人間は携帯電話を使う事で、仕事のスタイルが変化しだしているらしい。
こういう時代になると、そろそろ僕達はコンテンツを考えるときに無意識に考える、PC = リッチ、Mobile = poor という図式自体を考え直さなければならないのだと思う。

引用したエントリの前半はここ数年のapple社の戦略についての思索だったが、個人的には後半部に興味が引かれた。
携帯などのモバイル環境の普及がもたらすのもは何か?
個人的にも、ここ一、二年、スマートフォンを持ち歩いていて、多少の制約はあるものの、二十四時間いつでもネット上の情報を参照でき、無制限にメールを送受信できる環境に身を置いてきたところの実感だけど……モバイル的な「使い勝手の良さ」と「デスクトップ的な使い勝手の良さ」というのは、微妙に方向性が違うんだよな、やっぱり。
「デスクトップ=PC」は、処理能力にせよメモリにせよ、リッチならリッチなほど、使い勝手がいい。
でも、モバイルってのは、ハード的なスペックってのはあまり高性能である必要はなくて、それよりも、バッテリーの保ちとか使いたいときに使いたい機能をぱっと使えるレスポンスの良さ、機動性の高さの方が重要だったりする。
機動性の高いモバイル機器が普及することで何が一番変わるのか、というと、これは「リアルタイム情報の量と質」でしょう。いいかえると、従来の「デスクトップからデスクトップへ」という「事務所間」のやりとりよりも、「個人対個人」のデータ送信が、一気に増えた。
日本では、携帯の普及に一番過敏に反応したのは、学生さんをはじめとする若年層だったわけだけど、今では高年齢層までを含めたかなり広い年齢層の人たちも、普通に携帯でメールを打っている。インフラとしては、もうかなり浸透しているといっていい……と、思う。
引用したエントリの中では、中国とかインドとかで今後、爆発的に携帯ユーザーが広がるという予想が書かれているわけだけど、そういう事態になったときに発生するのは、文中でも示されているように、農作業とか地方の小工場とか、それまでデジタル化、ネット化の恩恵をあまり享受してこなかった業種や業態のIT化であり……そうした膨大な数の「現場」で試行錯誤されてきたノウハウや方法論が、何年か遅れで他の先進国に「輸出」されたりすることもあるのではないか……とかも、思った。
今は、「モバイル」とかいったらキャリアの違いとかハードの違いとか、そういうところが目立っているけど……あと何年かして、全世界的に、いよいよ本格的にモバイル環境が整備されてきたら、そうした些末な違いはあまり気にならなくなってきて、それよりは「整備されたインフラをどう使いこなすのか?」とかいうソフト方面のことが、一番注目されるのではないのか?
「道具」そのものよりも、「道具をいかにうまく使いこなすか?」ということの方が、よっぽど重要だよな、常考