第二の顔

ひさしぶりの、マルセル・エイメ。それでもって、たぶん、わたしが読んだ初めてのエイメの長編。もともと、そうそう頻繁に翻訳される著者ではないし、何年かぶりに新刊が出たと思ったら、既読作品ばかりを収録した短編集だったりする。
長編、とはいっても、「奇抜なシュチュエーションに遭遇した普通の人々の反応を活写する」という、短編での基本的な構造はそのままだったので、「エイメらしさ」というのは、まるで薄れていないように思える。いや、文章量が多くなった分、その「普通の人々」の反応や人物像がいつもより詳細に書かれている。
家族持ちの少しくたびれ気味の中年男で、「何の前触れもなく、自分の顔が二枚目に変わる」体験をする主人公。その妻や叔父さん、友人たちなどの対応を事細かに記述することで、登場人物それぞれのことが、じつにリアリティを持って迫ってくる。ああ。ああ。こういう人、いるよなあ、という感じで。
それとこの作品の舞台は、日本でいうと大正時代くらいの年代のパリなのだが、短編ではさらりと流されるだろう背景の描写も、この長編ではたっぷり楽しめる。主人公が鉄鋼業関係の広告を商売にしていることからもわかるように、技術こそ進歩しているものの、生活者の意識は現代のものとさほど変わらない。しかし、展開している光景は、紛れもなく戦争を経験していない年代の、パリのものだ。
長さ的な点からいえば、「中編、ないしは、少し長めの短編」といったこの作品だが、中身はというと読む前に予想していた以上にどろり濃厚。
ひさかたぶりのエイメ節を堪能した意外に、文章の端々に顕れる小説本来の面白さをたっぷりと楽しむ事が出来る、良作だった。