くうそうノンフィク日和

くうそうノンフィク日和 (講談社BOX)

くうそうノンフィク日和 (講談社BOX)

これ、講談社BOX以外のレーベルで出ていたら、もっと話題になっただろうし評価も高かったんじゃないかな。
長年フリーターをして家族に見捨てられた末、地方都市の雇われマスターとして拾われた撒井の「ものの見方」とダルダルな一人称はいかにも「現代日本文学」っぽいし。ストーリー的にはそれこそラノベによくある展開なんだけど、突如中二的な能力に目覚めたり、理不尽な状況下にほうり込まれた若者の言動を、「ちょっとくたびれた大人」である撒井の目から見て語らせることによって、微妙な距離感が生じる。
おもだった登場人物は、語り手であり傍観者でもある撒井。ある日突然魔女としての能力に目覚め、異世界の住人たちを一方的に虐殺しはじめる女子高生、篠木。篠木に心酔して忠誠を誓い、「魔女の騎士」として指示されるままに、こっちの世界に住んでいる異世界人を殺戮していく張戸、傍目にはなんだかよくわからない鬱屈や葛藤を抱えたたまま、受験勉強と謎の連続殺人犯(=張戸)の捜査に強い執着をみせる?渡。撒井の雇い主である「ボス」。店の常連である高校生、OL、女教師。ヤクザ。など。
ついこの間まで撒井の店の常連だった高校生たちがいかなり魔法使いになったり、失踪したり、異世界で行われた虐殺の様子をビデオに録って見せにきたり、だいたい異世界にいったきりの魔女と騎士(=張戸)との連絡役を押しつけられたり、放課後、町に出て丹念な聞き込み捜査をして連続殺人の足跡を追う?渡の保護者役を引き受けたり……と、撒井の役割は決して「主役」なのではなく「目撃者」でしかないのだよな。
撒井が張戸の殺人現場に居合わせるシーンとか、篠木が持ち込んだジャノサイドビデオを一緒に鑑賞するシーンなどもあるのだけど……撒井の反応はどこかものうげで、鈍くて……おかげで、撒井の思考と叙述越しにしか「その世界」を鑑賞できない「読者」にしてみても、どこか薄布越しに見ているかのような不鮮明感が拭えない。
どんな暴力も、ドラマチックな出来事も、常に「外部」、どこか……「ここではない、どこか」、もっとありたいにいってしまえば、「モニターの向こう側」にしか存在しない、という非現実感というのは、大多数の現代日本人にとって、お馴染みの感覚なんじゃないだろうか?
物語として面白いか面白くなかったかと聞かれると、正直、「微妙」としか答えられないのだけど(少なくともわたしは、この作品を手放しで他人に奨めようとは思わない)……まあ、やりたかったことは、十分に理解できた……と、思う。
錯覚や思い違いの可能性も、多々あるわけだけど。