そろそろ、「ヱヴァンゲリヲン 破」について語っておこうか

今日、ぽっかりと時間が空いたので、何かと話題の「破」を見てきたんだけどさ、面白いといえばかなり面白い部類の出来ではあった。先週の金曜日、テレビで放映された「序」は、旧作のあまり相違がないリファインんだったけど、「破」はかなり大きな変更が施されている。という情報をネットで確認したから、わざわざ見にいったんだけどね。逆に「序」は、大きな変更点があまりないと聞いたので、劇場には足を運ばなかった。
しんちゃんが一番顕著なのだが、どこかしらに神経症的な部分を持っていたキャラクターたちが、総じて前向きに、建設的に動いている。
ゲンドウやミサトは、不器用ながらも素直に子供たちのことを思いやっているし、あの加持でさえ、海や畑で「未来のこと」に思いを馳せ、そのことをしんちゃんに伝えている。
「毎回、来襲する敵を撃退する」という、マジンガーウルトラマン・タイプのシンプルなエンタメとして出発し、途中からなにやらサイコな芸術作品に昇華してしまった旧・テレビ版、劇場版の「病んだ」部分を意図的に払拭しようとしている、とも、読み取れる。
たとえば、今回の「破」では、汚染された赤い海と昔の青い海を対比させたり、加持やゲンドウ、寒月の短い会話によって、旧作よりよっぽど明快にネルフとゼーレが目指すものの違いを明示しているし、圧倒的に「分かりやすく」なっている。
その分、各キャラクターに「陰」がなくなり、「単純」な造形にみえる……という傾向はあるが……まあ、どっちがいいとか悪いとかいうわけではなく、どちらの方を好むか、という嗜好の問題になってしまうのだろう。
さまざまな趣向をこらしたデザインと能力、動きをする使途を次々に撃退する部分だけでも、「娯楽作」として十分すぎるほど面白いし、その部分だけでも、大画面で見る価値は、十分にある。特に、各使途の特徴的な「動き」と「変容」は、趣向をこらしたアニメーションだけに可能な「面白さ」を秘めていて、見ごたえがある。
ストーリー的には……設定や性格に大幅な改編がなされたアスカや、やっぱり前向きになって人と触れ合おうとするレイも(見事なまでに「二人目」のレイだった)いいんだけど……新登場のメガネ巨乳が、重要な節目節目で登場して、しんちゃんの選択を後押ししているな、という印象。登場している時間はそんなにないし、しんちゃん以外のキャラとはほとんど絡んでいないのに、鮮烈な印象を残しているキャラだった。直接的な描写はないけど、この眼鏡、ドイツ出身のアスカと面識があってもおかしくないよな。
あと、この映画だけ見ていると、しんちゃんのレイとかアスカへのこだわりふりが、ちょっと不自然かなぁ。旧作の記憶があると、そんなに不自然でもないだけど、この映画だけだと「君たち、いつの間にそんなに仲良くなったん?」と思ってしまう。この映画のしんちゃん、あっけなく自分の命かけ過ぎ、ってぇか、葛藤がなさすぎ。
そんでもって、挿入歌の選択の悪趣味さ。
あのシーンで、「と〜もだちで〜いよぉ〜」とか「つばさがぁ〜ほしぃ〜いぃ〜」って、皮肉がきつすぎる。
一番変更があったのは、「最強の使徒」との対決前後か。食うか食われるかの戦いなわけで、こういう展開もありえた、というわけだが……零号機がああなって、その後、暴走した初号機がこうして……というあたりは、ある程度予想していても、実際に映像として提示されると、やはりくるものがあるのであった。
そんで、オチと引きは、カオル君が持ってった。あの唐突さはないだろう。特に旧作を見ていない人は、唖然としたのではないか。
続く、「予告」みると、続きは完全に旧来のとは別物になるようで、まあ、そうでなくてはこちらとしてはわざわざ見る価値がないわけだが、何年待たされるか知らないが、気楽に待つことにしよう。