ジャン=ジャックの自意識の場合

ジャン=ジャックの自意識の場合

ジャン=ジャックの自意識の場合

さて、この奇怪な作品をどう評すべきか。正直なところ、一読した今でもかなりの困惑を感じている。控えめにいってもユニーク、もっと端的にいってしまえば、ひどくいびつな構造をもつ物語ではある。
しかし、そのいびつさ、ユニークさも、それなりの芯が存在する。それが、幻想的なイメージに彩られた、一見して飛躍しまくりの「ぼくとアンジェの物語」の合間に挿入される「JJからJDに宛てた手紙」。随所に挿入されるこの手紙によって、一見突拍子もないイメージの洪水である「ぼくとアンジェの物語」について、段々と合理的な説明がついていく。「JJ」は、タイトルにもあるとおり、「ジャン=ジャック」、「JD」は、「ジャック・デリダ」。同じ時代を共有しなかったこの二人が書簡を交わすわけだから、この作品の中では、時間や空間の制約は、あまり意味をなさない。
この作品の想像力は、ロビンソン・クルーソーから旧約聖書、ピーター・パンから日本の四国まで、時に博識をちらつかせながら、縦横に結びつけてみせる。
しかし、理に落ちるからといって、奔放なイメージの奔出は、ぜんぜん勢いを変じることはないのであるが。
途中、なんとなく、一時期の村上春樹的な「匂い」を感じることがあったが、そうか。この人もサリンジャーの子供の一人だったのか。