プラネタリウムのふたご

プラネタリウムのふたご (講談社文庫)

プラネタリウムのふたご (講談社文庫)

いしいしんじは、希望を語る振りをして、絶望を語る。あるいは、絶望の中にかすかに残った希望を。
「ブランコ乗り」、「麦ふみクーツェ」……など、少なくとも、わたしが読んできた何冊かに関していえば、表面的な意匠に反して、読後感はかなりビターだ。どの作品しても、親兄弟恋人、どんなに近しい間柄でも、理解しきれない領分が存在する、というディスコミュニケーションのテーゼが作品の底にわだかまっている。表面的には童話的な意匠を採用しながらも、だから、いしいしんじの作品は、読み終えた後、「……子供に読ませるのにはもったいないな……」と思ってしまう。第一、どの作品も、あまり「ハッピーエンド」を指向していない。
例えばこの「ふたご」に関していえば、終盤で登場する「まっくろでおおきいもの」の存在感は、圧倒的だ。こうした凶兆が、打破するもの、排除されるものではなく、「共存すべきもの」として描かれる世界観は、かなり上等なのではないだろうか?