創作者として。読者として。サイト管理者として。

この項は、昨日のこの項の続きでもある。

りゅうさんのブログ
http://rmnv.mods.jp/feb/cgi/blog/archives/2004/11/post_41.html
の記述とか、あるいは、


りんろうさんの日記
http://dklog.jp/u/rinro/#0001018120
とかの記述をみるにつけ、まあ、昔っから思っていることでもあるわけなんだけど、


「創作者としての資質」と、
「サイト管理者としての資質」とは、
必ずしも両立するもんじゃないんだよねえ、という認識を改めて意識するのでした。

りゅうさんが、作品ページのアドレスをメール請求制に切り替えたきっかけになったのではないかな、と推測する出来事も幾つか知っているし、閲覧者が多くなればなるほど、いろいろな付き合いが煩雑になり、それ以外に、「デムパ系の人々」が接触してくる可能性も増加する。
せっかくいい作品書いていたのに、ネット上の付き合いが煩雑になったりトラブルに嫌気がさしてサイトを撤去した例も、これもいくつも知っている。
なんのトラブルがなくとも、進学とか結婚とか就職とかを契機に、さっさとサイトを畳んじゃう人も多いわけだけど、そもそもWEBサイトの情報なんてものは、特に「創作系」とか「小説系」のサイトでなくとも、大変に勃興が激しいというか流動的な世界なのであって、そうした傾向の是非をうんぬんしてもあまり意味があるとは思えない。
ので、ここでは、
「ネットとは、WEBサイトとは、現実にはそういう世界なんですよ」
という事実を確認するだけにとどめます。


で、最初に書いた、
「創作者としての資質」と、
「サイト管理者としての資質」の違い、
という話題に戻るわけですが、たとえて言えば、


前者は、「製造業」
後者は、「サービス業」
なんです。


もちろん、気質的に、
「両方の資質をバランスよく兼ね備えている人が一番有利」、
ということは、まずいえるわけですけど、そういう恵まれた才能の持ち主というのは、現実的に考えて、ほんの一握りでしょう。

メアド非公開、掲示板撤去、拍手や投票フォームも置かず周囲の雑音を排除して、黙々と作品を書き続ける、いわば「職人タイプ」に徹底するのも一つの方法だし、
逆に、コンテンツの更新はあまり重視せず、もっぱらBBSやチャットなどで常連さんとのコミュニケーションを楽しむことを重要視する、
という方向性も、別に否定されるべきことではない。
ほとんどのサイト管理者さんは、そこまで両極端なほうにはいかず、中間層のどっかで、ほとんど無数にある、幅の広い範囲のなかから、自分の性分にあった方向性を選択していると思います。
もし、「どういう方向性を選択するのかと迷っている」というサイト管理者さんがいたら、
「自分が一番やりたいことはなになのか? なんのためにサイトを公開したのか?」
という事をしっかりと自問すれば、自ずと答えが出ると思います。


基本的に、「自作品に返ってきたレスポンスに過剰に反応する人々」というのは、

1.WEBの公共性に関する認識が甘い。知識が不足していた。
2.「自分の作品」のクオリティに関して、正常な判断ができない。ないしは、過剰な自負を持っていた。
3.「世の中には、自分とは違った価値観やセンスの持ち主がいる」ということが想像できない。

などの要因が多くの原因になっている、と、推察しています。
こういう人々は、別に悪いことをやっているわけではないから非難するわけにはいかないけど、はっきりいって、全世界に自分の言説なり作品なりが公開されてしまうWEBという世界にはむかないのではないのか?
というのが、それなりに短くない期間、トラブルや摩擦を含めたいろいろな出来事をみてきたわたし自身の「感触」です。


ですから、今回の
「感想耐性主張バナー置き場」
http://www.cmo.jp/users/ayamine/kansou/
という企画は、ある程度リスクをコントロールしようとする試みなわけで、どの程度の実効果あるかどうか、というのは今の時点ではなんとも判断が出来ないわけですが、コンセプトとしては大変に面白いものだと思いますね。
まあ、ポストの脇の「猛犬注意」のシール程度に実用になれば、成功の部類になるかと。
ただなぁ。
こういう企画を利用して、リスクをコントロールしよう、という自覚が出来るような人なら、そもそもそんなトラブルとか摩擦とかを自力で避けるだけの判断力と想像力があるはずで、そのあたりは正直、少々不安でもあります。
本当に危なさそうな人は、自分が危ない、という自覚を、決定的に欠いているのではないのか、と。